大冒険の子ども時代。
「うらやましい」は
何もなかったから言えること
渡部きしもとさんは小学生の時、どのように放課後を過ごしていたのですか?
きしもと近所の子らと、かくれんぼとか鬼ごっことかを家の裏の山や川でしていましたね。大人は全くいなかったです。ただ、思い出すとなんていうのかな、「よう生きてたな」というか。家の裏が銀山っていう、豊臣秀吉の金が埋蔵されているって噂の洞窟がいっぱいあって、その洞窟の中に入ったりとかしましたね。
渡部すごい冒険ですね。
きしもとそうなんですよ、冒険。本当に冒険で。でもそういう経験を今の子どもたちにさせたいとはあんまり思っていなくて。むしろよう大怪我とかせえへんかったなって。かなり傾斜のあるところから転がり落ちた経験もしているし、大人が見てないところでいなくなったっていうことも。
ある時期になると、さっきの銀山に犬をめっちゃ連れた猟師さんが入っていくんです。で、その時期は山に入るなよって言われて。山入っていってパンパーンってなって、降りてきたイノシシをこうやって(丸焼きのポーズ)みたいな(笑)
よくうらやましいって言われるんですけど、それは(大怪我など)何もなかったから言えることだよなって思います。大人の目がありながら、その中で自由にできるっていうことが僕の今の立場では大事やなと思っているので、たまたま生き延びてよかったなっていう感覚で当時を思い出していますね。
同年代の二人。子ども時代を振り返りながら原点を探す
子どもたちやその支援者との日々が、
正義マンだった自分を変えてくれた
渡部ちなみに学校はお好きでしたか?
きしもとあんまり覚えてないですね。ただクラスで1人浮いていた感じはありました。僕、どちらかといえば、“みんなを包み込むよ”、“批判しないよ”、“いろんな人の正義があるから”みたいなスタンスでいるイメージがあると思うんですけど、完全にそのときは真逆というか、“正義マン”でした。
小学生のときは、「一つでも悪いことをした奴は許さへん」「お前が間違ってる」とかめっちゃ言って、クラス全員対自分みたいな。「まずは話し合いしましょう!」みたいなことをよく言って、みんなからウザがられるタイプの人間でした。まだね、正義マンはこの辺に(ご自身を指しながら)おるので、一緒に共存する感じでやってますけど。
中学校からは少し変わってきましたけど、それがずっとあったので、小学校がすごく楽しかったっていう思い出はない。担任の先生は好きやったんですけど。
渡部正義マンから変わったきっかけは何だったんですか?
きしもとついこの間まで正義マンやったと思います。4年か5年ぐらい前かな。保育とか児童福祉って正解はないって言いつつも、子どもの権利をしっかりと保障してやっていきましょうねっていう軸がある程度あるじゃないですか。それが保育の業界は真逆というか、できない状況をずっと続けていることに僕はちょっと違和感があって…。できていない現場とかできていない人たちを批判していたんですよね。ただ、それじゃあ伝わらないっていうのがまず一つと、できない状態を全員が自分の意思でやっているかって言ったら、環境によるところがすごく大きいと感じ始めたんです。
保育園の現場に行くと、必死に子どもを怒っている先生がいるんですよ。本当にもうひどい怒り方をしていて、やっぱりその瞬間のその場を見たらその先生のことが、なんていうか許せなくなる。極端な言い方をすると、本当に憎く思うぐらい許せないと思う。でもそれって結局、僕の正義マンが「あいつを正せ、俺が正しいってことを証明しろ」って言っているんですよね。それに、その先生が本当に手を抜いていて、子どもたちを傷つけてやろうと思ってやっているなら許せないってなってもいいけど、その先生は子どもたちのためにと必死にやっているのですよね。
渡部本当そう。必死に、一生懸命がゆえにですよね。自分も含めてですけど、程度が多少違ったとしてもそういうふうになってしまう時があると思います。
きしもとそうですよね。その先生は何かに追われている感じがしたんです。主任や園長、上司なのかわからないですけど、そういう人たちの目や保護者の目かもしれない。自分ができているってちゃんと自分で認めたいっていう思いとか、色々あるのかもしれない。
その人自身は悪くないよなと思ったのが一つきっかけとしてあって、そこから自分がしたいのは何だろうって考えたとき、自分がやっている保育が世界一だと証明したくて誰かを下げるっていうことではなく、児童福祉はどの環境、どこにいる子どもたちも全員が幸せっていう状態に向けてやっていきたい。そういう環境を子どもたちに提供することが僕の、別に僕が全部やるって意味じゃないですよ、僕がやるべきことや、思っていることだって気づいたんです。
当時6施設ぐらい、6〜7人の先生たちとチーム一丸となって、子どもの権利、主体性を大事にした学童にしていこうって取り組み始めたんです。その頃に、この先生を批判してもしょうがないし、やっぱり自分の正義だけじゃあかんなっていうのはその頃にすごく思うようになりましたね。
保育業界に入り感じたことを1つ1つ丁寧に語ってくださったきしもとさん
「あなたにとって
大事な軸は何でしょう?」
から支援が始まっていく
渡部子どもの権利と主体性を大事にした保育をしていくために一致団結して現場づくりができるようになった経緯を教えていただけますか?はじめからみんなの合意形成を図るのはむずかしそうですよね。
きしもと2015年施行の「子ども・子育て支援新制度」を機に、保育園と同様、学童保育も放課後児童クラブ運営指針ができたり放課後児童支援員の資格ができたりと質の向上のために学童保育を取り巻く環境が新しくなりましたね。その直前ぐらいに、僕が新しくそのチームに入ったんです。当時はなんとなく全員がそれぞれの思うようにやろうぜっていうチームだったので、最初にちゃんとみんなで意思疎通をしておこうとなりました。どんな学童にしたいか、どんな子どもたちでいてほしいかみたいな話を共有したんです。その時は共有するだけだったのですが、児童福祉法改正後に改めてどういう学童にしていこうかって話したとき、まず僕らの役割は何やろって話題になりました。
放課後児童健全育成事業なのであれば、遊びと生活を大事にした上で、子どもの健全育成を図りますって児童福祉法に書いてあるから、じゃあまずそれやんなって。それってどっから来てるんやっけ、子どもの権利やん、子どもの権利って何なんやろう。そこからみんなで一緒に勉強していきました。児童憲章や子どもの権利条約っていうのはあるな。じゃあもう1から勉強し直そうぜって全員で勉強していったらそれがもう根幹というか、根っこにあるので、僕らがどういうノウハウでどういう保育をして何時には何してみたいなことよりも先に土壌と根っこ、種かな、まずはそれを全員で共有して、同じものを一緒に育てていったのがきっかけです。何かに導こうというよりも、全員が納得してそれぞれの形を表せられるように、軸は一緒にしとこうぜって。
当時の僕らは、それこそ「子どもの最善の利益ですからね」みたいなノリをしていましたね。「今日もね、一日中外でしたわ。一日中ですよ、帰ろう言うても子どもら帰らんくてバテましたわ」、「いや大変でしたね。でも子どもの最善の利益ですからね」「そうですね」みたいなちょっとそういうネタとしてじゃないんですけど、そうやって自分たちがやっていることが子どもの最善の利益なのか、その子どもの権利をきちんと保障するものなのかっていうことを、なんていうのかな、立ち返る。ちょっと迷ったらここ集合なみたいな感じの場所をチームで1個つくったんです。それがすごく大きくて、僕が辞めてからもそれはまだ残っているようです。
みんなでつくったみんなの目標というか、大事にするものだから、そこにしっかり軸足を置いてできることをやる。できないことがいっぱいあるけど、ここに軸足を置いてできることを頑張ってやるみたいなことを地道に続けているっていうのが一つ大きかったかなって思います。
渡部それが何に基づいていて、どういう目的を持ってそのチームがみんなで了解し合って動いているかのプロセスを経ることが大事ということですね。
近しい経験談に共感が止まらない渡部さん
きしもとそうですね。つい批判しちゃいがちなことを、この人は何か意味があってやっているんだろうって思えるようになった。ちょっと厳しすぎひんって思った場面があったとしても、それを厳しくするっていうことはもしかしたら何か安全に関わることだったり、その子どもの最善の利益を考えた上で、そうせざるを得ない状況なのかもしれないぞって多分みんなが考えられるようになったし、その視点っていうのはやっぱり子どもとか保護者を見る上ではすごく大事な部分なので。やっぱり保育士も親もその子どものためにと思ってやっているわけじゃないですか。
その軸がどこにあるんだろうっていうのを想像すると、僕らのチームはここにある。じゃあ、あなたにとって大事な、帰ってこられる軸になるものは何でしょうっていうところから支援が始まっていくと思っています。
僕は勉強会とか研修とかをするとき、まずあなたはどういう保育がしたいかを確認します。お互いに機嫌よく子どもが生き生きと育っていってほしいのであれば、さらにその根っこにあるものってなんだろう。それぞれを尊重し合うことなのかもしれないねって。すると、それって人権の話だよねっていうふうにやっぱりなる。それを確認できると自分が子どものためにやろうとしていることを意識しながら反省できるし、意識しながら行動できるなって思いますね。
渡部仲間の存在もやっぱり大きいですね。
きしもとめちゃめちゃ大きいと思います。
渡部その仲間と学び合いながら、でも常に目線がお互いに合って、立ち戻れる場所があるから迷わない。
きしもとそうです。でも、ずっと迷っているんですよ。
渡部そうか、迷うから立ち戻る。
きしもとそうです!そうです!そうです!自分たちが立ち戻れる場所があることは、チームとしてすごく大きいと僕は思っていて。僕がリーダーとして引っ張るというより、目的が子どもの最善の利益なので、そこにみんなが向かっているし、そこを中心にみんなが広がっていく感覚なんですよね。
悩んだときも共通のキーワードで話ができるので、子どもや保護者の悩みの話になったら、その子にとって今一番必要な、大事なことって何だろうなって。僕がキーワードにしている “しんどくない”っていうのは子どもの最善の利益、子どもの権利っていうのを考えたときに、まずは一歩だろうな。
さらに別の場面でいうと、できていることを言語化して伝えていくこともめちゃくちゃ大事にしました。褒めるっていう言い方をあまりしないですけど、「褒めるのがうまいですね」って同僚とかに言われるんですよ。でもそれは褒めるんじゃなくて、「あなたが今、そう考えて行動したその支援は子どもの最善の利益を考え、真ん中に置いているからできていることだよね」とか、目指しているものをちゃんと目指せているんだって確認できると、自信にもつながると感じますね。
放課後NPOアフタースクールのためにきしもとさんが描き下ろしてくださったイラスト
答え合わせではなく、
みんなが安心して話せる
対話の土台を置く
渡部ここまでお話をうかがっている感触で、きしもとさんはものすごく論理的な方だと気づいて、逆にすっきりしたというか。多分それを伝えるために、作品とか文章とか、やわらかい手段で伝えてくださっているんだとわかりました。お話してくださった児童クラブ運営指針や子どもの権利条約に立ち戻ることって、やっぱりすごく大事なことだなって。
なぜ大事だと思ったかというと、誰かの主観的な考え方でこれが正義だって語り始めてしまうと、この人がチームの中で正しい人みたいな位置付けになってしまって、どう頑張ってもパワーバランスが生まれるし、みんなの共通のところに立ち戻れなくなっちゃいますよね。この人が正義みたいな。そこから出るためには、外にあるいわゆる一般化された方針や方向性に示されているような、大きなところで合意されているものに立ち戻ってみる。でもそれが正解なわけじゃなくて、大事なのは今おっしゃられた支援者同士の対話を常に続けてくというところで、自分たちなりの答えを出すっていうところ。これが多分、支援者がチームとして成熟していくためにものすごく必要なんだなって思いました。
きしもとおっしゃるとおり、一般化された一つの正解みたいな形のものが、答え合わせではなく対話をする上での土台になるんですよね。全く違う土台でそれぞれ話をしていても建設的な話にはならないけど、同じ土台をしっかりと置いた上で、これについて話そうっていうことができる。それとさっきおっしゃったように、僕は声がでかい人間なんで…。
渡部ははは!(笑)確かに理路整然としていて説得力があります。
きしもとわかりやすいとは思うのですが、それが正しいように感じちゃうのは違うし、僕がそれをついやってしまいがちなんですよね。なんとなく正しいような感じで喋ってしまうと、チームとしては安心する部分もあるけどそれじゃ駄目だなと。
渡部めっちゃわかります。それね。リーダーとしての答えを出しにいっちゃえば全部収まる時もある。でもそこはみんなで答えを出して、それが自分個人にとっては8割だったとしても、みんなで決めたことを100にしていきたいってことですよね。きっとその葛藤があるからこそ、きしもとさんの表現につながっているんだろうなって強く思います。
きしもと嬉しい。嬉しさ半分、なんて言うんですかね…
渡部うん、ジレンマですよね。でも多分ですね、きしもとさんのその姿勢がこの前ご一緒した第1回の勉強会参加者の皆さんにすごく伝わったって感じました。準備の時からきしもとさんが「答えを出しにいかないことが僕の守るところです」って言ってくださって、当日話してくださった内容も、「僕はこう思います」があった上で、押さえておきたいポイントも伝えてくださったので、参加者の方は安心したと思います。最後は答え合わせじゃなくて、自分が信じてきたことがきしもとさんの話を通して“これでいいんだ”って思えたと思うし、「それでいいんだよ」って受け取れたんじゃないかなと。
きしもとめっちゃ嬉しい。
これからの放課後を、共に描いていく
相手の願いを大事するのは
子どもも大人も一緒
渡部振り返ると、これまで勉強会とかでうちの団体はこうしています、こういうのは子どもたちにとって良かったですよっていう自分たちにとっての好事例を伝える会みたいなのをやりがちだったなと思うところもあって…。
きしもとそれを必要としている人もいるんですよ。
渡部そう、必要としている人がやっぱりいて、それはそれで喜んでもらって満足度もすごく高かった。
きしもと支援っていうのはどこか押し付けられているように感じる時もあるじゃないですか。でも、その人が普通にやっていることを言語化してあげて、それが理にかなっているよっていうことを知れたら、その人の力が発揮していく、エンパワーメントになるわけじゃないですか。それがやっぱり僕は支援に必要だなと、本を書いて、たまに研修をさせてもらうようになってなおさら思うんですよね。その人たちが目指す支援のかたち、あり方がイメージできるような学び方がいいなって思うんですよね。
渡部やっぱり相手の人が何を願っているのかをまずは大事にされていますね。それは大人であっても子どもであっても。きっと大人が変わることでまたその先の子どもに伝わってくるし。
きしもとそうですね。子どもも大人も一緒やなって。子どもを1人の人として尊重して関わるっていうことを漫画にしているので、どっちも一緒やな。
渡部そういうふうに関われるのってこの仕事の魅力だなって思います。元々小学校の教員を新卒で4年ほどやっていて、1人の人として学級の子どもたちと向き合いたい思いがめちゃくちゃ強くて先生になったんですけど、やっぱり先生と子どもって関係性、学校っていう枠の中だとなかなかむずかしくて…。もちろんそれが実現できる先生もいるかもしれないのですが、なんだかそういう構図になっているから先生として振る舞わざるを得ないみたいな感じがありました。心の中で、僕はこれをやりたいわけじゃないのになって思っていました。
きしもとそういう環境になってしまってるんですよね。
渡部うん。やっぱり今の仕事が出来てよかったなと思うのが、子どもや保護者、支援者同士が同じ方向を見られるっていうか、子どもとも同じ方向を向けるんですよね。「私はこれがやりたいんだ」とか「それ楽しいよね」とか言い合える。「俺この漫画好きなんだ」と言われたら、「いやいやこれ読んだ?この何巻がいいよね!」とか、そういうことがもちろん学校の先生でもできるんですけど、放課後はそこから日常につないでいける良さがある。
きしもといいっすね、いいっすね。そう、同じ空間にいるっていうのがめっちゃ大きいですよね。
渡部そういう関わりができる放課後の時間っていうのは大人にとっても子どもにとっても大事。
きしもと生活なんですよね。生活の中にいるっていう感覚で学童はいられる。学校も生活の一部といえば生活の一部だけども、何か気を張る。なんていうのかな、出勤するっていう感じ。子どもたちが仕事に行くっていう感じで、なんかこう力を入れる場所なんですよね。帰ってきて本当に生活をする場所っていうのがやっぱり学童保育とか放課後の大きいところかなと思って。僕としては、本当は保育園もそうあってほしいなと思うし、学校ももしかしたらそういうふうになっていけばいいのかなと思うけど。保護者の人も生活じゃなくなってきたりするんですよね。頑張りすぎると「教育」っていう。1日の中の、1ヶ月の中の、子どもとあなたと2人の人生の「生活の時間」ってどれくらいあるかって考えたら、すごく少なかったりしますよね。生活の中に僕とあなたがいるよね、その中で僕はあなたの生活を少しでも支援する立場でいるよって。そんなふうでありたいなと思いますね。