Interview

私×放課後

No.05

Update : 2019.7.2

Mitsuru Murai 村井満 Jリーグチェアマン(第5代日本プロサッカーリーグ理事長)

「放課後は遊びを通して
大事なことが学べる」

子どもが社会とつながるためには、
大人が一緒に遊びまわる空間をつくること。
年齢も立場も関係なく、
みんなで決めて遊ぶことができる。
そんな関係性を大切にしてくれるなら、
先生でもご近所の方でもいいと思います。

村井満Mitsuru MuraiJリーグチェアマン
(第5代日本プロサッカーリーグ理事長)

埼玉県出身。早稲田大学法学部卒業後、(株)日本リクルートセンター(現リクルート)入社。営業部門、人事部門を経て、本社執行役員兼リクルートエージェントにて代表取締役社長に就任。その後も同グループ各社で要職に就き、2008年に日本プロサッカーリーグ理事に選任。2014年に理事長に就任。

聞き手
正村絵理放課後NPOアフタースクール 本部マネジャー

放課後の豊かな思い出は
人生の財産になる

正村村井さんは埼玉県川越市ご出身とのことですが、小学校時代はどんな放課後を過ごされていましたか?

村井毎日外で遊んでいましたね。いたずらもたくさんしましたし、やんちゃな子どもだったと思います。

私が生まれた昭和30年代、川越市はのどかな田園風景が広がる田舎町でした。1年生の時は5つ年上の姉と3つ年上の姉に連れられて小学校に通っていたのですが、自宅から小学校までは子どもの足で片道1時間くらい。最初の頃は自宅に帰ってくるだけでヘトヘトになっていました。学校生活に慣れてからは、日が暮れるまで遊んでいましたね。

正村私は東京都出身なのですが、ドッジボールばかりしていました。男女関係なく、いろんな学年が入り混じって遊んでいました。子どもだけの空間で、自由に遊んでいた記憶があります。

村井ドッジボール、私もやりましたよ。ポートボールなども好きで、いろんなスポーツをしていました。そのなかでも特にサッカーが好きでした。1年生の時に6年生の女子たちと互角に戦ったことも楽しい思い出です。性別や学年を超えて、のびのび遊んでいたと思います。

2年生の頃、新しい小学校が近所にできて、そこに通うことになりました。東京から引っ越してきた子どもたちが続々と転校してくる、そんな学校でした。私たち地元の子どもたちは、転入生に川越の町のことを教えたりしていました。育った環境や世代や文化を超えて、いろいろな仲間とふれあう。この価値観は、あの頃の経験から無意識のうちに培われたのかもしれません。

日が暮れた頃のお腹がすいた感覚と、夕焼け。帰る頃に校庭で流れていたドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。これらは僕にとっての放課後の残像です。帰る故郷がある、という感覚。サッカーでは「ホームタウン」と言うのですが、こうした経験、記憶は、人生の財産だと思っています。

年齢も立場も関係なく、
子どもと一緒に遊ぶ

正村今、子どもたちは、安全性の問題で大人がそばにいないと外遊びができないんです。そんな環境において、子どもが社会とつながるため、何が大人にできるでしょうか。

村井大人が教えたり、管理するのではなく、一緒に遊びまわる空間をつくることではないでしょうか。私の子ども時代は、男女や年代を超えた触れ合いがたくさんありました。子どもにとって、一緒に遊んでくれるなら、子どもでも大人でも、どちらでもいいんですよね。

サッカーも鬼ごっこも、人数や時間、ルールなど、遊び方を自分たちで決めるから楽しいと思うんです。放課後になったら、年齢も立場も関係なく、みんなで決めて遊ぶことができる。そんな関係性を大切にしてくれるなら、先生でもご近所の方でもいいと思います。

スポーツはラテン語の「deportare(デポルターレ)」という言葉が語源になっていると聞きました。デポルターレとは、「運び去る、運搬する」の意味だそうです。転じて、精神的な転換も意味するようになり、日々の生活から離れ、気晴らしをしたり休養する、楽しんだり遊んだりとつながるんです。狩猟や乗馬などはまさにスポーツそのものなんですね。子どもにとっては、1時間目から6時間目までの授業から離れて遊ぶ。そんな放課後とスポーツの世界観は、とても近いんです。そういったことを理解してくださる方が、子どもたちと一緒に遊んでくれるといいですね。

子どもの話をすると大人も楽しい!

遊んだ分だけ、
サッカーは上手くなる

正村子どもたちがサッカーをする時、楽しむことと技術を磨くこと、どちらを重視されますか。

村井楽しむことです。試合では監督の声は選手に届きません。だから、選手は自分で考えて判断しなければならない。しかも、サッカーは360度自由に動けますよね。ドリブルしてもいいし、パスしてもいい。「ここでフェイントをかけよう」といった判断が自分でできないと、レベルは上がりません。

よく、ティーチングとコーチングの差について話しています。日本では、やり方を教えてしまいますが、サッカー先進国では7割くらいヒントを与えて、3割は自分で考えてもらうというスタンスなんです。そうでなければ、サッカーというクリエイティブな競技はうまくいかない。だから、たくさん遊んだ経験を持つ人の方が上達が速いし、強いんです。

正村遊びのように楽しむことが、一番の上達法なんですね。

村井そうです。サッカーは「デポルターレ」から派生した遊びです。だから、遊ぶ心、楽しむ心がすごく大事になってきます。

国際連合加盟国は193カ国(国連、2019年3月時点)ですが、国際サッカー連盟(FIFA)に加盟している国と地域は211箇所。国連よりも多くの国と地域がFIFAに加盟しています。サッカーがこれだけ世界に広がったのは、気軽に遊べるからだと思っています。ボール1個あれば、どんな国の、どんな場所でもできます。ゴールだって、缶をふたつ置けばいいのですから。

失敗を受け入れ、
励まし合う

正村サッカーは、チームの仲間と協力し合うことも特徴のひとつだと思います。そこから子どもたちは、どんなことを学ぶことができるでしょうか。

村井サッカーは、「ミスのスポーツ」なんです。プロの試合でも、0対0で終了することがありますよね。自分のチームのゴールに誤ってボールを入れてしまう、オウンゴールというミスもあります。サッカーは手ではなく、足を使う競技だから、8〜9割がミスなんです。ミスをした人をいちいち責めていたら、なにもできないんです。仲間の失敗を受け入れ、許すことが日常的に行われます。

ミスによる精神的なダメージも受けやすいですよね。そういった時は仲間と励まし合いながら、元の状態に戻していく。「リバウンドメンタリティ」と言われていますが、落ち込んだ気分を回復させたり、相手のミスを受け入れたり、サッカーのチームプレイにはそういった人間社会に必要なことがたくさん盛り込まれています。人生の縮図のようなところがあると思います。

それぞれのフィールドで子どもたちを応援する存在を目指して

活動を着実に広げ、
仲間を増やしていく

正村私たち放課後NPOアフタースクールは、今、日本全国に活動範囲を広げているところです。組織づくりなど、いろんなチャレンジが必要だと思っています。村井さんのこれまでの経験から、組織を拡大するタイミングにおいて大切なことを教えてください。

村井放課後NPOアフタースクールが今後、すそ野を広げるには、たくさんの人の協力が欠かせないと思います。規模が大きくなり、関わる人が増えることで、同じ目標でもさまざまな解釈が生まれる可能性があります。共有しやすく、しっかりとした理念が必要になってくるのではないでしょうか。

Jリーグの場合は、発足当時に初代チェアマンの川淵三郎さんが「地域密着」とおっしゃいました。その理念を守ってきたから、8都府県10クラブから今では39都道府県55クラブにまで広がりました。それは、発足当時から変わることなく歩み続けられたということですよね。

放課後NPOアフタースクールは、学校関係者や保護者、地域の方など、さまざまな価値観の方が関わるため、難しいチャレンジをしていると思います。でも、放課後は遊びを通して大事なことが学べるかけがえのない時間ですから、頑張って欲しいと思います。

正村私たちの大切なパートナーである、地域の市民先生は、子どもとの関わりに価値を感じて活動に賛同してくださっています。そんな市民先生たちと一緒に楽しい放課後を守るために、理念をしっかりと共有しながら動いていきたいです。

村井ぜひそうしてください。今、放課後NPOアフタースクールが取り組まれている活動を着実に広げていく。そうすることで、さらに多くの人が仲間に加わり、放課後NPOアフタースクールの目指す放課後が日本全国で実現していくのだと思います。